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道の駅 信州蔦木宿は、国道20号沿い、信州へ入ってすぐ、自然に囲まれた天然温泉「つたの湯」と、そばが楽しめる「てのひら館」。 |
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戦国時代、この地は甲州領域にありました。幾度の諏訪勢と甲州勢との戦いの末、1535年、堺川で両者は和睦の会盟を行いました。1540年、諏訪頼満の孫頼重は、武田信虎の息女祢々を娶り、化粧料として堺方18ヶ村を信虎から頼満へ譲られたと伝えられています。この時、この土地も武田家から諏訪家へと移りました。
江戸時代の旅人は、「蔦木日暮れて道三里」と言って蔦木で日暮れてから三里は歩いたそうです。甲州街道は甲府まで開かれた後、中山道の下諏訪まで延びたようであり、その時ここへ宿場が作られました。道路は500mほどの一直線で、その両脇に梅と柿の木の並木があり、旅人の心を癒したそうです。
開宿時から明治に至るまでの宿場の賑わいは相当なもので、商店が建ち並び南諏訪の繁栄の中心でもあり、住民の鼻息も荒かったようです。 |
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応安の古碑
諏訪郡内で年代確認できる碑石の中では最古のものです。
(応安5年 西暦1372年)
鹿島山三光寺(曹洞宗)
三光寺は、さかのぼる事約600余年前(1395年頃)武田信玄の6世前の武田重信が父信満のために、現在の三光寺東方に真如山万願寺を開いたのが始まりです。
現在も寺紋に武田菱が用いられています。
境内、庭園は見事で訪れる人の心を打ちます。 |
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与謝野晶子歌碑
本陣のご家族と親交のあった晶子は、度々この地を訪れ歌を詠んだといわれています。本陣にある歌碑には、
「本陣の このわが友と いにしえの 蔦木の宿を 歩む夕暮れ」
と詠まれています。
屋号
「元気を出すぞ蔦木宿の会」のみなさんにより
古くから伝わる屋号の看板が軒先に設置されました。 |
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